2011年3月11日 東日本大震災
あれから何年経っても、この日を思い出し、ささやかながら祈りと感謝を捧げている。
しかし、ぼく自身のことで言えば、知り合いが亡くなったわけでも
自分が直接被害を被ったわけでもないため
心の底からの喪失感を味わってはいない。
ただただ、あれだけ多くの人の人生が変わった出来事に対して
何もできない無力感と
人生とは何が起こるかわからないからこそ
精一杯毎日を生きようと想いを強くし
毎年3月11日は、あの日を思い出している。
今まで感じたことのない揺れの中で
今回のブログは、どんな言葉で綴っても本当の悲しみを経験した方からすると
軽く思えてしまうかもしれない。
なので、震災のことというより、ぼく自身の変化を綴ることをご容赦願いたい。
ーー
2時46分
大きな揺れが東京にも襲ってきた。
ぼくは前年に仲間と起業し、一軒家を改築したオフィスの2階にいた。
びっくりして外に飛び出たら、電柱がグワングワン揺れていて、
これは今までになく“ヤバい”と思った。
TVをつけたら、これがただの地震ではないとわかり
震えが止まらなかったのを今でも覚えている。
あの日から日常が変わった
幸い、親も友人も連絡がついた。
ただ、日に日に映像で送られてくる、被災地の様子を見て
自分に何ができるのか……という葛藤は大きくなった。
その頃、仕事で言うと、売上がないと簡単に資金が尽きるような
会社を立ち上げて間もない時期だったし
数少ないクライアントも、こんな極小企業を相手にする空気ではなくなっていた。
ただ、何とかなるだろうという根拠のない自信だけはあったけど、
自分のことより辛かったのは、被災地に対して募金くらいしかできることがなかったのと
現地に行きたくても何が求めらているかわからなかったし
そもそも起業資金に貯金をほとんど突っ込んだのでお金の余裕も全くなかったこと。
マズローの五段階欲求の話でいうと
自分の衣食住が満足でないと、
誰かに貢献したいという気持ちなんて綺麗事にすぎないんだなぁ
と感じ、自分に対して残念な気持ちになった。
被災地に行く理由
それから1年くらい経ち。
日常は落ち着きを取り戻していた。
ただ、東北のことが気がかりで現地に行く理由を探している自分もいた。
今なら、何かできることを主体的に見つけて行動していると思うけど
その頃は、おきたことが大きすぎて自分事にできていなかったのかもしれない。
「現地に来て、東北の美味しいものを食べて、人と交流して、今を発信するだけでも嬉しいんです」
誰かの、そんなSNSの投稿を見たとき、行く理由が定まった。
自分はライターを本業としていたので、情報を発信することはできるからだ。
もう1つ。
その頃、「今を生きる」をテーマにこれからの人生を考えていた。
将来の目標を描いていても、大きな事件や事故、
今回のような自然災害などで達成できないこともある。
それなら、わからない未来ではなく、今を一生懸命生きる必要があるのではないか……
そう想い、過去1番一生懸命”自分を生きていた”時期を振り返ってみた。
大学の頃、自転車で東京から鹿児島まで走り
翌年にはカナダを1週間くらい自転車で旅したこと。
スマートフォンもソーシャルメディアもない時代に
便利さも承認欲求も求めず
自分の好きをとことん追求して、想いのままに旅をしていたこと。
社会人になってからは、
仕事にとことんのめり込んでいたけど
心から好きな(自転車)旅をするのは10年近く記憶の片隅に置いていた。
こんな今だからこそ、東北に自転車で行こう。
心は決まった。
……この記事を読んだ方からすると、何て自己満足な奴だと思う人もいるだろう。
ただ、綺麗事を並べたり、旅する理由を作ることも、その頃の仕事で忙殺され余裕のない自分には必要だった。
何もない、を目の当たりにして……
東京を出てから2日目には、福島県のいわきに着いた。
原発事故の影響で、それ以上は海側を通れず、山を越えて4日目には宮城県の仙台に着いた。
5日目以降は石巻から被害の大きかった沿岸部を走った。
ただひたすら青森県まで走った。
自分の目で実際に見た印象は、TVやYoutubeで見るそれとは全然違った。
なんというか……平な土地や地域は何も無くなっていた。
何もないからこそ、映像として視聴者に届かないだけで
今まで、そこにあった建物が瓦礫を残してスッカラカンと無くなっていた。
悲しみや、怖さはなかった。
ただただ、自然の力を目の当たりにして、現実を受け止めるのに必死だった。
現地に来たからこそわかった温度感
「人間には自分のキャパ以上の問題は起こらないから、
たいていのことは心配するだけ無駄」
そんな言葉を聞いたことがある。
今回は、自分の想像のキャパを超えてしまったので、実際に何ができたかはわからない。
ただ、何事も自分事として学ぶとすれば
現地に来たからこそわかった温度感がある。
感じた想いや得た情報を発信して誰かに届けることも、誰かにとっては価値になる。
それが、とても小さいことでも。
だからこそ、最初から自分は何に貢献できるかなんて心配しないで、
今したいと思えることをして、発信できる自分でありたいとそのときに思った。
東北を自転車で回った後、さらには全国を回り、
結局47都道府県を全て走ってしまったのも、今したいと思えたからだ。
そして今でも、仕事をしながら旅をする生活をしている。
時には、「お前は暇なんか?」と、コメントが来たり
「何で旅ばっかりしているんだ?」と、不思議がられることもある。
そんな時は……
「いつ最後が来るかわからないから、したくないことをするほど暇ではない」
とでも、答えておこうかな。
毎年3月11日は、ささやかながら祈りと感謝を捧げると同時に、自分ごととしてもあの日を振り返っている。
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